2008年10月3日金曜日
なくてはならないもの
午後、机に向かっていたら何となくさみしくなりました。あ〜あ〜なんて思って、テキストでも送ろうかと(イギリスではメールでなくてテキストなんです)、電話を手にとりポチポチ書いて送信!ガ〜ン、送れないじゃあないですか?他の人にも、、、何度やっても同じ、、、。よく見ると、ノーサービスのサインが出ているじゃあありませんか。イギリスに来るまで携帯電話をもったことが無かった私は、無理矢理、友達に買わされたようなかたちで、携帯を買いました。でも、今じゃあ、連絡用というのはもちろんだけど一人じゃなくて誰かとつながっているということを思い出す小道具になりました。電話の復活を待つばかりです。
2008年10月2日木曜日
FInland 3
フィンランド最後の夜は、ヘルシンキからインターシティーで1時間半ぐらいのタンペレに行きました。友達が、彼女のパートナーと住んでいるところで、フィンランド第4の都市だそうです。電車はとっても快適で、電車好きとしてはのっているだけで満足で、写真も撮りました。でも、鉄子じゃないですよ。タンペレは、テキスタイル工場が多くありクラフトも盛んです。そのせいか、女性の街とよばれることもあるようです。また、労働者のまちでもあり、国内戦争では沢山の死体が街の公園に積み重なっていたそうです。友達のアパートは、その公園のまえにあります。とっても広くて、沢山絵がかかっていて、本もアルファベット順に並んでいました、、、。もちろん、文化の研究をしている大学の先生の家なので、普通の家とは違うのですがね、、、。モロッコ料理を作って待っていてくれたので、オーストラリアのおいしいワインと一緒にいただきました。そして、ちょっと散歩に出ました。タンペレは、湖と湖に挟まれた都市なので、歩くとすぐに湖にぶちあたります。なんだか、水辺って落ち着きます。帰って、モロッコのお菓子をたべて、一緒に絵や本の話をしました。彼らのお友達の詩と絵の本を見せてくれました。その詩を歌った音楽もかけてくれました。恥ずかしくなるような愛のうたで、いやらしいんじゃないですよ、素敵でした。ここ世の中に砂漠の砂から抜け出てくる前から、私たちは一緒でした、、、みたいなことです。あんまりじゃましちゃ悪いので、おやすみを言って、それから、シャワーを浴びて、マリメッコのカバーがかかった布団に入りました。そして、早朝に空港に向かいました。不思議と、もう来ないとか、また会えないとか全く感じない別れでした。私たち二人ともそう思いました。またね。
2008年9月30日火曜日
Finland 2
カンファレンスの2日目の午後は、友達と学会から逃げて2時間ほど公園を歩きました。フィンランドはいろいろな国によって植民地化?されて(スエーデンとかに)、独立をしてそんなに時間はたっていません。1970年代は国内戦争、ブルジョワ階級と労働者階級の争いでした。ヘルシンキ大学の裏門の脇の橋を通る時に友達が、この橋から向こうが労働者階級の人が当時、すんでいた場所だよって。ブルジョワ階級の多くはスエーデン人でした。北欧の国でくくってしまいがちですが、フィンランドとスエーデンの間にはいろいろあったようです。
夜は、島でお食事会でした。海側から見えるヘルシンキの街は本当にきれいでした。スオメリンナ島は戦争の時に使われた島で、今では世界遺産です。不思議なレンガの建物でお食事です。とっても素敵でした。ここでもやっぱり、ワイン飲んじゃいました!ここで、素敵なお話を聞きました。スエーデン人のおじさん(フィンランド1参照)は、1970年ぐらいにヘルシンキの新しい教会の記事を読んで、そこを訪れて、そこで結婚式をしようと決めたそうです。それから、彼は奥さんとなる人(スエーデン人)に出会い、その教会で結婚式を挙げました。もう35年間、一緒だそうです。その当時の、スエーデンとフィンランドの状況を考えると本当に良い話だと思います。
2008年9月29日月曜日
Finland 1
23日から27日まで、フィンランドのヘルシンキ大学で行われた学会に行きました。ヘルシンキは去年の同じ時期にも行っているのですが(去年のブログ参照)、今年は少しあたたかいような気がしました。ヒースローから2時間50分ぐらいでヘルシンキの空港に着きます。着いたのは夜の9時で、空港からフィンエアーバスで市内へ30分ぐらいです。前にも来ているので、全てがスムーズにすみました。ただ、駅から荷物を引っ張ってホテルに行くのはちょっと大変でした。安全な街だけど夜だし、オンナノコだし?ホテルはフロントが無くて、前もってもらっているキーコードで入るシステムです。無事、部屋までたどり着いたときは12時近かったです。近くのキオスクで買った、チンするスープとパンをかじって布団に入りました。


なぜか眠れずに、夜中の2時に起きてしまい、プレゼンテーションの改良と練習をしました。プログラムに変更があって、初日の午後に発表することになり心配で眠れなかったのかもしれません。ヘルシンキ大学のPhDの学生のMと、大学のレセプションで待ち合わせをしました。大学までの道は覚えているのですが、ヘルシンキの街はトラムの路線の延長工事でどこも歩きにくかったです。無事、レジストレーションして彼女と再会できました。
午前はキーノートスピーカーが3人話をするのを聞きました。初めのスピーカーは、Dissanayake, E. 文化人類学者です。彼女の本はとてもすばらしくて、本人に会えただけで来たかいがあったというものです。素敵な人でした。
お昼は、学生食堂のチケットをもらいましたので、ヘルシンキ大学の食堂に行きました。普通、学生は400円ぐらいで定食が食べられます。サラダ、パン、あたたかいメインの皿、飲み物です。
午後一の(私の)指導教官のプレゼンのお手伝いに行って、その後は自分の発表会場に行きました。小さい講義室だったので安心しました。しかし、私の発表が始まる前に、ひとがどんどん来るではないですか、、、、とうとう、立ち見の人も出てきました。どうせ(いじけてません)誰も来ないと思って、ハンドアウトも10人分しか作っていませんでした。思ったよりも緊張せずに落ち着いて話せたと思います。質問も沢山出ました。とくに、カナダやアメリカの研究者から質問されたのには驚きました。
そんなこんなで、一日目のカンファレンスは終わりました。オープニングパーティーは夕方、シティーホールであるということで、どうしたものかとウロウロしていると、スエーデン人のおじさんと、おばさん(プロフェッサーです)に誘われて一緒に行くことになりました。時間があるので彼らのホテルに連れて行かれ、ウイスキーを飲まされました。一緒にいた友達も。どうも、これがウメペダゴギー(ウメ大学の教育学)らしいです。夜の立食パーティーでは、ひたすらミートボールと魚のパイをむさぼりました。本当はいろいろな人と話をするべきでしたが、やっぱり恥ずかしくて、、、。その後は、友達とヘルシンキでも一番古いレストランのカフェでお茶を飲んで近況報告と将来のことについて話しました。
2008年9月23日火曜日
私の感情は&決断について
私はどうやら自分の気持ちを自分の中におさめてしまうようです。今日も指摘されました。もっと怒っても良いですよって。なんでだろう?悩みを聞いてほしくても、結局、持ち帰ることの方が多いのは確かです。これを書いている最中に、大家さんとTさんが電話でしゃべりまくっています。そんな二人がうらやましいです。あごはパキパキ、肩はバキバキで、私の体にはいろいろなものがたまっているようです。
私が最近、よく眠れない悩みについて相談したところ、こんなふうに答えてくださった方がいらっしゃいました。’良い決断や悪い決断はないと思う。ただ、自分が後悔するような後ろ向きな決断はしない方がいい’。他人にとって良くても悪くても、自分にとって本当であれば良いのだろうと思います。そういうことでしか私たちは(少なくとも私は)前に進むことができないのでしょう。
2008年9月22日月曜日
財産は?
今年はちょっと押し入れの片付けをしました。一度には捨てるにしのびないものを少しずつ処分しています。今年は、発見がありました。おかきの箱に入ったたくさんの手紙を処分しようと思ったのですが、全く捨てることができませんでした。ほとんどは、中、高、浪人、大学の時にもらった手紙たちです。もちろん処分してしいたので数はだいぶ減っていました。いろいろある私ですが、何もやってきてはいないんじゃあないかという無力さやいつも一人だったという思いがいつも何処かにある私です。でも、今年、この箱を開けて驚きました。ひとつひとつの手紙のあったかさに。私は、馬鹿だったなあと思いました。こんなに人に思ってもらっていたんだということを本当に忘れていました。バレー部のH先生は、卒業の時の中学生のお礼のお手紙に自分の考える幸せについて書いてくれていました(幸せになってくださいと、ただ、独りじゃあ幸せにはなれないようだよ、って)。高校の寮の友達の手紙、別の予備校に移った友達からの近況報告、、、。もらった当時も、きっとうれしかったはずだけど、また、今読むと、その時わからなかったことが少し感じられました。本当に私は馬鹿だなあと思いました。
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