今度で5回目になる先生のお宅訪問。場所はイングランドの真ん中、レスター。バスでロンドンから2時間40分ぐらい。お昼前に到着して、コーチステーションまで迎えに来てもらったけれど、あまりご機嫌がよろしくなかった。いつものことなので気にしないようにして、夕食に使う野菜と肉を買うためにスーパーによってもらう。レスターは印度人がとても多い。インドからの移民ではなく、植民地時代にアフリカに移りアフリカの独立によって、そのままイギリスに渡ってきた印度人。学校も90%印度人。お昼はバックガーデンでスープとアイリッシュソーダーブレッドとサモサ、、、。それから、車で近くの村の昔の生活用品を扱った博物館に連れて行ってもらう。そして、街の中を歩く。二人でチョコレート屋さんでホットチョコレートをのんだ。帰りは、農地を2時間ほどウオーキングしてブラックベリーをつんで帰る。先生は牛が嫌いなようだった。羊や牛に悪態をついているところが面白かった。夕食は鍋物とにんじんのきんぴらとご飯。夜は先生のところに下宿している印度人のダンスの先生(スミ)と3人で夕食を食べて、ロシアのバレーダンサーのドキュメンタリーを見て過ごした。
2日目は、先生がカナディアンブレックファーストを用意してくれた。パンケーキ(バターとシロップ)とかりかりのベーコンを一緒に食べる。アメリカでドクターをやっていたときの先生の思い出の朝食。先生が仕事をするというので、庭のはっぱ集めと草むしりをした。お昼は3種類の印度カレー(ゴーヤ、なす、まめ)をスミが作ってくれた。ゴーヤを食べながら相模大野の沖縄料理やを思い出した。午後は、車でガーデンセンターに行ってから、小川のそばのパブに行った。そこはボートの停泊所になっていて、ロックという施設があって水の水位を調節してボートの丘越えをするところ。ボートといってもそこで生活することが出来るようなボート。ちょっとあこがれるホリデー。夜はスミが印度の伝統ダンスに連れて行ってくれた。印度の修道院でお坊さんがやっているダンス。それを調査して記録して、女性のダンサーが踊った。重要なポイントは、男性によって、修道院で行われていたものを、女性が一般の人の前で踊ったということ。ダンスそのものも興味深かったけれど、印度人のイギリスでのコミュニティーに入り込んでしまったかんじで不思議な体験をした。だって、ほとんど印度人で明らかに会場には日本人は私一人。帰ってすぐに昨日の残り物を食べてすぐにベットにもぐりこんだ。
まったく不思議な週末だった。先生、スミ、どうもありがとう。
2007年9月28日金曜日
2007年9月27日木曜日
2007年9月21日金曜日
やっぱり庭
「人間の行動のなかで、子どもを産むことは別として、庭づくりがいちばん楽天的で、希望にあふれたものです。庭づくりをする人は計画的で、少し先のことでもずっと先のことでも、将来を信じ確信している人なのです。,,, 魂がしぼみ、時代の困難や脅威に打ちひしがれている人、希望も慰めもないと思い、新しい夜明けのかすかな光も見ようとしない人。そんな人には庭づくりをおすすめします。庭づくりをすると、勇敢で大胆に、やさしくて冷酷に、きちょうめんででたらめに、おだやかで忍耐強くなることを、順ぐりに覚えていきます。何よりも今日という日を満喫し、明日に希望を持つことを覚えるのです」(S, Hill. Through the garden gate).
2007年9月14日金曜日
ガーデニングの研究じゃあない
最近、ガーデニングのことばかり書いているから、私が何をやっているか疑問に思っている人がいるかもしれませんが、研究しています。(データーの分析しています。書いています。) ガーデニングの研究じゃあない。
ソーシャルサイエンス的な研究は、日本の美術教育では、なかなか理解もされていない。研究そのものも西洋的な行いだという人もいる。そうかもしれない。いろいろ批判もされる。けれども、だれも、本当に研究を理解して批判している人に会ったことはない。
研究も半ばにさしかかり、今までは書いてあることを理解するのでいっぱいいっぱい。でも、最近は創造性が必要なんだなあと思わされる。誰かがやったことを追うのではなくて、誰もやったことがないことに挑戦して初めて意味があるんだろうなあ。そういうことが、自分が生きていることと重なったらステキだ。自分の中に何かしんがないとなかなかやっていけないと思う。でも、だれもそんなもんはつくってくれない。20代は、そういうことがわからなかった。
私は30代、最終的にオリジナルな研究を書き上げることができるのでしょうか? 誰も分かりません。私もわかりません。
ソーシャルサイエンス的な研究は、日本の美術教育では、なかなか理解もされていない。研究そのものも西洋的な行いだという人もいる。そうかもしれない。いろいろ批判もされる。けれども、だれも、本当に研究を理解して批判している人に会ったことはない。
研究も半ばにさしかかり、今までは書いてあることを理解するのでいっぱいいっぱい。でも、最近は創造性が必要なんだなあと思わされる。誰かがやったことを追うのではなくて、誰もやったことがないことに挑戦して初めて意味があるんだろうなあ。そういうことが、自分が生きていることと重なったらステキだ。自分の中に何かしんがないとなかなかやっていけないと思う。でも、だれもそんなもんはつくってくれない。20代は、そういうことがわからなかった。
私は30代、最終的にオリジナルな研究を書き上げることができるのでしょうか? 誰も分かりません。私もわかりません。
今年最後のバラかな?
2007年9月10日月曜日
パンツがひらひら
また、アイビーを刈った。今度は前回の2倍の量。結局、朝の9時から夕方5時まで働いた。前回と違うのは、両隣のネイバーがとてもフレンドリーに接してくれたこと。自己紹介して、道具を貸してくれて(家には小さいガーデニングバサミしかない)、お茶までさそわれた。皆、ずっと待っていたのだ、‘おおやさんが、アイビーとりんごの枝を刈るのを’。昨日一日で庭が急に明るくなった。午後は皆がガーデニングをしたり、庭を楽しんでいた。塀のアイビーを刈ったので、隣が良く見える。良いことをした気がして、気持ちよかった。
でも、隣のおばあちゃんたちのパンツがひらひらと風にゆられているのがまぶしかった。
でも、隣のおばあちゃんたちのパンツがひらひらと風にゆられているのがまぶしかった。
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