2008年10月25日土曜日

胸を張って歩きましょう。

昔のノートに挟まっていました。

「朝と夜のあいだに人びとの気分は変わる
ひもじいときは亡骸のようになり
満腹になるとその神とも張り合い
ものごとが順調にいっているときは
天にも昇るなどとじゃべくるくせに
困った時には地獄に落ちそうだとわめく」
5千年の時を経て驚くべき発展を遂げた人間文明ですが、人間自体は何も変わっていないのです。気の遠くなるほどの時間、全く同じことを繰り返している私たち、「私」不在で着飾ることばかり器用になった私たちですが、今が最高、ここがパラダイスなんて思わなかったからこそ、試み考えてきたわけです。そんな幼い人間なので失敗する自分を恥じることはありません。何度駄目でも、また試みることを許されていることを忘れずに胸を張って歩きましょう。

浪人していた時に、書いていたノートに挟まっていました。講師の先生が書いたもののコピーだったと思います。このときは、失敗の連続でいつの間にか自分を責めて臆病になっていました。だから、不器用な私は、その当時、あの状況を乗り越えようと毎日ノートを広げていたように思います。でも、今、この紙を見ると私は違うことを考えます。あの時があったから今があると思うし、調子がいい時ほど、いろいろなものが見えなくなっていることが多いなあと思いました。一番苦しい時に、考えたことや、決心したことを忘れないでいようと思いました。

気をつかう

ちょっと、前回の続きのような話。そんな大家さんだけど、私が一番気をつかうのも大家さんです。私たちは、他人同士で同じ屋根の下に住んでいます。だから、気持ちよくお互いが過ごせるように、一番近い人だから気をつかいます。気持ちよく過ごせるように頑張ります、我慢もします。そういうことが出来るのも、相性が良いのもあるからだけれども。でも、時々は’どうして、こうしてくれないのだろう(怒)’なんて思うこともあるんです。でも、’私、甘えているなあ’って、反省もします。

人と人のことだから、いろいろあるのです。毎日、日々、違って。イライラするときも、うれしいときも、悲しいときも、寂しいときも、全部がその人の本当で毎日だと思うのです。まるごとそのまま。

2008年10月22日水曜日

ありのまま

今日は、まだ完全復活とは言えない体調だったので、家で朝から勉強していました。大家さんが、電話で珍しくイライラして大きな声を出していました。ちょっとドキッとしました。夜に、夕ご飯を食べていた時に、
大家さん:’ごめんなさいね。朝、大きな声だして。銀行ともめてね’
私:’うんうん’
次の瞬間に
大家さん:’あ、オーブンのガスつけてないわ〜’
それから、大家さんがエプロンしているのに、首にシャツとマフラーをかけていたので、
私:’何で?’
大家さん:’庭に行くのに、コートを着るのが面倒でね、さっきね’
私:’忘れてたんでしょ〜’
大家さん:’本当はね、、、’
(二人で微笑む。そして、ひひひひひ、、、と笑う。)
大家さん:’でも、少なくともどんぐりが笑ってくれるから良いわ〜。どんぐりは、私をありのまま受け入れてくれるから。ジャッジしたり、批判したりしないで’
私:(テレル)。
大家さん:’昨日の夜、私の夕食のお皿洗ってくれてありがとうね’
私:’もう、おぼえていないよ’
大家さん:(微笑む)
大家さんは、エキセントリックだけれど、ちゃんと話を聞いてくれて、私の気持ちも聞いてくれて、彼女こそ、私をありのまま受け入れてくれる人なのです。

2008年10月20日月曜日

滋養強壮、風味絶佳

滋養強壮、風味絶佳。キャラメルのパッケージに書いてあります。そして、風味絶佳は私が今週末に、熱をだしながら読んだ本。

、、、何か大きなものによって人間関係は動かされている。私たちにはかなわない力強いものに。そう思うと、何故だか気は楽になる。色々なことを諦めるのに成功して、波立つ心は、ようやく鎮まる。
『そんなことないよ。だってあの引っ越しの日、ほんとうはおれ、ボードに休みっていれておいたんだから。でも、伝票見て、驚いて、わざわざ変えてくれるように頼んだんだよ。あのとき、自分から行動起こさなかったら、、、偶然道端で会ってアイス食っているわけじゃない。人との付き合いって、全部自分の努力からなんじゃないかな。』(山田詠美 『風味絶佳』)

仕方がないって、気持ちがザワザワすることから上手く逃げるようになっていたなあと思いました。でも、いろいろ努力した分だけ、もうちょっと忍耐強く待てるようになったり、やさしくなることも、本当だと思ったりもします。イギリスは、まだ、マイルドな天候です。キャラメルが恋しいな。

あっ、関西の方は、もう何も打つ手がないことを、’もう、にっちもさっちもいかん、グリコの看板やがな〜(=お手上げ)’って、本当に言うんでしょうか?誰か教えてください。

2008年10月12日日曜日

ティッシュでぽい

真夜中に冷や汗かいちゃいました。急に、昼間にマウスピースをティッシュにくるんで鞄に入れたことを布団の中で思い出しました。それが、無くて、、、。捨てたような気がしてならないのでした。私、結構、すぐにモノ捨てるのです。でも、結局、朝見つけました。良かった。そこで思い出したのは、婚約指輪をティッシュに包んでポイした私の友達。人ごととは思えません。まあ、マウスピースと婚約指輪じゃ、違いすぎるんだけど、、、。

2008年10月11日土曜日

肩こりとタイのお兄さん

今日はいつになく肩の調子がわるく(桑田みたいだなーちょっと古いか?)、生の人参をかじったようなポキポキ音が頭と首の付け根から聞こえます。日本から持って来た例の匂いのする湿布を肩にはりました。気持ちが悪くて台所で空を眺めて洗濯機が止まるのを待っていたら、タイのバスに乗ったことを思い出しました。Yチンさん(仮名。犬占いがチンなので)から角田光代さんの旅行の本をお借りして読んでいるからかな?ミャンマー、マレーシア、タイ、ラオス、タイ、マレーシアの2ヶ月の一人旅のほんの一コマでした。ラオスにスローボートでメコン川から入って(角田さんはスピードボートに乗ったって書いてありました)ラオスをバスで回って国境からバンコクへ戻るときのバス。私の足は蚊に刺されたことが原因でサンダルに入らないぐらいパンパンで、頭ももうろうとしていて、椅子に座っていることがつらくてつらくて、ナイトバスだったけど一睡も出来なかった夜。いつの間にか、私の前に髪の長い人が座っていました。髪がフワフワ〜。髪を何度もかきあげて、運転手のお兄さんと談笑しているようでした。彼が男の人だと分かったのは朝方、バンコクのバスターミナルに到着するほんの少し前でした。イギリスで青空見ながら、不思議なことを思い出すものです。彼のすごく細い腰と長い髪のことが私の脳みそに残っていたのですな、PhDの論文のことと一緒に私の頭の中で残るのかな?

2008年10月10日金曜日

賑やかな日

今日は賑やかな日でした。朝からグループチュートリアルです。うちの研究室は月に一度はやります。内容は、情報交換や学会報告等やって、一つの研究論文(ジャーナルから一つのアーティクルを選びます)をみんなでディスカッションします。初めに先生が、論文について質問をしてきます。基本的には深く読んでいるかのチェック、とはいえ、科学的論文の必要事項をちゃんと説明してあるか?というようなことです。研究方法の具体的な説明等。これは、トレーニングです。研究者としてちゃんと論文が読めるようにという。そして、その論文の弱いところとかも指摘したり。批評的に論文を読む練習?かな。それに、私にとっては人前で話をして、ディスカッションする練習です。なかなか、間に入ってゆけないのが現実です(涙)。

今日は新しくPhDのコースを始めるギリシャ人の演劇の先生も加わりました。ギリシャ人だからか?神様みたいな名前のお兄さんでした。それからマスターをやっているアフリカからの彼女は、修士論文制作中に赤ちゃんが出来て男の子を出産して復帰しました。子育てしながら頑張っています。一段落して、PhDのカナダ人の友達とお昼を食べながら、女の人が結婚して出産して子育てしながらキャリアをつむことがなかなか難しいという話をしました。一緒にご飯を食べた彼女は4人の子供がいます。いろいろあるけど、それぞれの形でがんばっているのです。イギリスは多少はいろいろな形で頑張ることができる環境があるかもしれないですね。自分のかたちか、、、どれも、私には夢のようなお話ですな。

午後は自分の研究のことで先生の指導が入って、学会報告書とか書いていたら7時過ぎて真っ暗。林の中を帰るのは禁じられているのですが、お腹が減っているので誰かの後を歩くようにして、林の道で帰ります。今日にかぎってカップルが私の前を歩いているじゃあありませんか。本格的に林の中に入ると手をつないで歩き始めました。ドキドキしたのは私だけ?追い越そうにも、その二人、ぴったりくっついているので、結局は尾行するようなかたちになってしまいました、、、。家の前まできて、自分が怪しい人になっているのに気付いたのでした。

2008年10月9日木曜日

めでたいこと&ゴ○ブリのようにしぶとく

大学のときのクラスメート?がとうとう結婚する事になりました。二人は私が知っているときから二人だったので、もう、ずいぶん長いこと一緒にいるようなきがする不思議なカップルです。モルジブで式を挙げるそうです。パーティーは日本で。せっかくお知らせもらったけれど、また、出席できないので残念です。私がイギリスに来て5年ぐらいたとうとしているのかな?その間にお友達の皆さんは、どんどんご結婚されていきました。でも、その一つの式にもパーティーにも出席できていない私です。年齢的にも結婚が重なるような歳だし、いくつもの式に出席するのは大変だろうけれど、友達が幸せになるのをみることは、自分が思った以上にうれしく感じるものです。本当に、ドラマを見ている感じがするのは私だけかな?ちょっと考えるだけでウルウルするんだけど。結婚後も、家庭をもって、、、その他のいろいろな、私が経験したことの無いような大変なことにぶちあたってもシブトく生きているみんなの様子が私の支えです。にかわのくっついたエプロンやジャージを着て、靴のかかとをふんで、ドーサの毛布で昼寝していたのを知っているから、ただじゃあつぶされないと思うけれど。何で、おめでたい話からこんなことを書いているのでしょう?AちゃんとKくんおめでとう。お幸せに!

2008年10月6日月曜日

オムヒーリング

気功の先生にすすめられて、インドのオムヒーリングのセッションに行きました。それは、修道院のチャリティー活動のようでした。雨の中、大家さんと大家さんのお友達(二人とも年金生活者)と、歩いて40分歩いても着かない、、、ので、途中からバスに乗っていきました。修道院はとってもきれいで、シスターがあたたかくむかえてくれて、部屋まで連れて行ってくれました。先生はインドの先生。サリーを着た人もいました。なぜがヒンドューの祭壇まであるのでした。

椅子が円状に並べてあって、その中にも小さい円状に椅子がおいてありました。オムという言葉を45分間言い続けるのです。基本的には音によって癒される、とか。手は所定の形にしてー椅子に座って言い続ける。15分交代で真ん中の椅子に座ります。真ん中の人たちは癒されます。先生の説明の後、おばさんが’私の悪いエネルギーがみんなにわたったら悪いわ’なんて、言うじゃあないですか!みんな心の中で、何でそんなこと口に出して言うんだよって思ったでしょう。45分はもあっという間でした。最後は手をこすったり、自分が癒したい体の部分を自分の手で触る、瞑想して終わり。隣のインドのおじさんはすごく良い声でした。途中、誰かの声がモンゴルのホーミーみたいになって、声を出すって面白いなあと思いました。

行く前は、オムってもしや、、、例の宗教団体の、、、とか思ったりしたけど。全く大丈夫で安心しました。癒されたかどうかは別として面白い経験でした。

2008年10月4日土曜日

ささいなこと

スパゲッティ(乾燥)がないと台所をウロウロしていたら、自分のスパゲッティを冷蔵庫に発見しました。大丈夫か私?

地下鉄にのっていて、前に座っていた人が降りた後の椅子のソファーの部分が凹んでいたのに、ドアがしまって電車が動き出したらふわ〜ってなって、膨らんだんです。その時、私もうわ〜ってなりました。あの興奮、誰にも気付かれなかったかな?

毎日、ほとんどひとりでいて、ひとりでいるのも板についてきたのかと思いつつ、賑やかな方へと流れたくなる自分もいて。どっちもあって良いんじゃないかと思いながら、まだテクテクと一人旅が続きそうな私。

曇り空をみて、ため息ついて。しょうがないかとあきらめ顔。日本でいたことが嘘だったんじゃないかと感じるほど、あっという間にイギリス生活に戻っていく自分。

日本からもってきた小説をコーヒーを飲みながら、ちょっとずつ大事に読むのが一番の楽しみ。

日本食の買い出しにゆく。5キロの米が11ポンド。3キロで16ポンドのコシヒカリ新潟村松産にひかれるも(知っている場所)、量と値段であっけなく断念。どら焼きと寿司を横目にみながら、米と冷凍の納豆4Pと醤油をよっこらしょっと持って店を出て、地下鉄とバスを乗り継いで帰る。何やってんだ私?と思うけれど、あったかい白いご飯は食べたいものです。

しばらくノーサービスだった私の携帯電話がナオッタようです。かけられない電話より、鳴らない電話の方がさびしいものだと認識する私。私も現代っ子か?

おいしくカレーライスが出来ました。でも、ひとりで食べると味気ないものです。ごはんは、誰かと食べたいものです。特に、週末の夜は。

黒い革ジャンを着た、シルバーアクセサリーじゃらじゃらの先生にまた、あなたには絶望した、と言われました。あんなこともあったと笑い話になる日が来るのでしょうか。

ねむれ〜私

眠りの質改善に努めているのに早速、いや〜な夢をみました。そして、それを朝までおぼえているので、眠りが浅いのでしょうか。夢の中で殺されそうになりました。日本の賑やかな人通りの多い駅のようなところで、私はいきなり、振り向いたおばさんに(もたいまさこさんにそっくりの、、、)おばさんに出刃包丁のようなもので襲われました。足がすくんで逃げられませんでした。私、死んじゃったのかな?夢占いでみると、気にかかる問題があるようです、と。逃げられなかったから、そういう類いの問題なんだろうな。気にしてないつもりでも気にしてるんだな、、、と、人ごとのように自分をみてしまいました。結局、よく眠れないのだ。

大丈夫なのだ〜と(バカボンのパパのように)言って、斉藤和義の大丈夫という歌を聴きました。

’大丈夫 なるようになるのさ
いつでもそうやって笑ってたじゃない
大丈夫 なるようになるのさ
構わずに行こう 思いのまま’


2008年10月3日金曜日

なくてはならないもの

午後、机に向かっていたら何となくさみしくなりました。あ〜あ〜なんて思って、テキストでも送ろうかと(イギリスではメールでなくてテキストなんです)、電話を手にとりポチポチ書いて送信!ガ〜ン、送れないじゃあないですか?他の人にも、、、何度やっても同じ、、、。よく見ると、ノーサービスのサインが出ているじゃあありませんか。イギリスに来るまで携帯電話をもったことが無かった私は、無理矢理、友達に買わされたようなかたちで、携帯を買いました。でも、今じゃあ、連絡用というのはもちろんだけど一人じゃなくて誰かとつながっているということを思い出す小道具になりました。電話の復活を待つばかりです。

2008年10月2日木曜日

FInland 3

フィンランド最後の夜は、ヘルシンキからインターシティーで1時間半ぐらいのタンペレに行きました。友達が、彼女のパートナーと住んでいるところで、フィンランド第4の都市だそうです。電車はとっても快適で、電車好きとしてはのっているだけで満足で、写真も撮りました。でも、鉄子じゃないですよ。タンペレは、テキスタイル工場が多くありクラフトも盛んです。そのせいか、女性の街とよばれることもあるようです。また、労働者のまちでもあり、国内戦争では沢山の死体が街の公園に積み重なっていたそうです。友達のアパートは、その公園のまえにあります。とっても広くて、沢山絵がかかっていて、本もアルファベット順に並んでいました、、、。もちろん、文化の研究をしている大学の先生の家なので、普通の家とは違うのですがね、、、。モロッコ料理を作って待っていてくれたので、オーストラリアのおいしいワインと一緒にいただきました。そして、ちょっと散歩に出ました。タンペレは、湖と湖に挟まれた都市なので、歩くとすぐに湖にぶちあたります。なんだか、水辺って落ち着きます。帰って、モロッコのお菓子をたべて、一緒に絵や本の話をしました。彼らのお友達の詩と絵の本を見せてくれました。その詩を歌った音楽もかけてくれました。恥ずかしくなるような愛のうたで、いやらしいんじゃないですよ、素敵でした。ここ世の中に砂漠の砂から抜け出てくる前から、私たちは一緒でした、、、みたいなことです。あんまりじゃましちゃ悪いので、おやすみを言って、それから、シャワーを浴びて、マリメッコのカバーがかかった布団に入りました。そして、早朝に空港に向かいました。不思議と、もう来ないとか、また会えないとか全く感じない別れでした。私たち二人ともそう思いました。またね。