私は下宿をしている。ロンドンは住居費がとても高く、学生は学生寮に入る、アパートをシェアーする、間借りする(私)のが一般的。私は学校の近くに(徒歩25分)大家さんと、もう一人の学生さんと一緒に一軒家に住んでいる。
この大家さんはとてもユニークだ。良い意味で基本的に人にどう思われようと気にしない。イギリスについて2日目、早速、図書館にいる私に電話がかかってきた。どうやら鍵をなくして家に入れないらしい。それで、私にいつ帰ってくるのかという電話だった。結局、いつも通る家までの道の途中のニュースエイジェンシーの窓に落し物として貼り付けてあったそうだ。家に帰ったら、‘これであなたはイギリスに帰ってきたって感じがするでしょ?’と。これからどんなことが待ち受けているのだろう?
これからもいろいろあると思うので、レポートしてゆきたい。
2007年4月30日月曜日
2007年4月27日金曜日
到着レポート
今はロンドンの下宿にいる。時差ぼけで、どうしても早く眠くなり早く起きてしまう。
飛行機の機内では現在位置が表示される。飛行機が日本上空のときは良いのだが、台湾や中国付近の海の上に来るとだんだん寂しくなってくる。今回の香港からの隣の席にはスキンヘッドのお兄さんが座っていた。チョコとか新聞とか勧めてくれ、ビデオの見方のインストラクションをしてくれた。大きい体を縮めてナッツを食べているときは可笑しかった。そうそう、ピーナッツの中にはひげのおじいさんがいる。
ヒースロー空港でばったり同じ飛行機だったらしい友達に会った。彼女は同じ大学のPhDの学生でもうすぐ終了。なんと、先週、マレーシアで結婚式を挙げたという。それを聞いてとても嬉しかった。本当に何だか嬉しかった。ちょっとだけだけれど、イギリスでの勉強やその他もろもろの大変だったことを知っていたので、本当に幸せになってほしいと思った。とても温かい気持ちになれた。本当におめでとう。
今度の部屋は4畳半ぐらいのもともとは子供部屋。やさしい黄色の壁に古いグリーンの絨毯。箪笥とテーブル(かなり古い)にクローゼット。カーテンは色あせた黄色。これが風水なら金運アップの部屋になるのだろうか。以前に住んでいた場所なのであまり不安は無いけれど、やっぱり日本じゃないから緊張する。それでも、机に庭の花が花瓶に活けてあったのがうれしかった。
うれしいことは友達や絵の教室のお母さん方から着いた翌日に連絡をもらったことだ。こうしていろいろな人に出会えたことがここまで私を来させてくれたと思う。何かを成し遂げるには一人の時間は大事だとは思うけれども、やっぱり私は一人よりも誰かといろいろなことを経験してゆくことも大事だと思う。
とにかく、私は無事にロンドン、バーンズのブルックウッドアベニューの青いドアの家に着きました。
飛行機の機内では現在位置が表示される。飛行機が日本上空のときは良いのだが、台湾や中国付近の海の上に来るとだんだん寂しくなってくる。今回の香港からの隣の席にはスキンヘッドのお兄さんが座っていた。チョコとか新聞とか勧めてくれ、ビデオの見方のインストラクションをしてくれた。大きい体を縮めてナッツを食べているときは可笑しかった。そうそう、ピーナッツの中にはひげのおじいさんがいる。
ヒースロー空港でばったり同じ飛行機だったらしい友達に会った。彼女は同じ大学のPhDの学生でもうすぐ終了。なんと、先週、マレーシアで結婚式を挙げたという。それを聞いてとても嬉しかった。本当に何だか嬉しかった。ちょっとだけだけれど、イギリスでの勉強やその他もろもろの大変だったことを知っていたので、本当に幸せになってほしいと思った。とても温かい気持ちになれた。本当におめでとう。
今度の部屋は4畳半ぐらいのもともとは子供部屋。やさしい黄色の壁に古いグリーンの絨毯。箪笥とテーブル(かなり古い)にクローゼット。カーテンは色あせた黄色。これが風水なら金運アップの部屋になるのだろうか。以前に住んでいた場所なのであまり不安は無いけれど、やっぱり日本じゃないから緊張する。それでも、机に庭の花が花瓶に活けてあったのがうれしかった。
うれしいことは友達や絵の教室のお母さん方から着いた翌日に連絡をもらったことだ。こうしていろいろな人に出会えたことがここまで私を来させてくれたと思う。何かを成し遂げるには一人の時間は大事だとは思うけれども、やっぱり私は一人よりも誰かといろいろなことを経験してゆくことも大事だと思う。
とにかく、私は無事にロンドン、バーンズのブルックウッドアベニューの青いドアの家に着きました。
2007年4月24日火曜日
どんぐりのたわごと
どんぐりのたわごとは、須賀さんの機関誌のタイトルから。これを書こうと決めたときに思いついたのがこれだった。 著作権とか大丈夫なのかな、、、。
つやつやと光っていて、いつもわらっているようなどんぐり。しかもまた何と小さくて威厳のないことか。でも私達は、どんぐりでなければもつことのできない、しずかな、しかもいきいきとした明るさを、よろこびを、みんなのところにもって行けるのではないでしょうか。(須賀敦子 須賀敦子全集 第7巻)
自分サイズで書けばいいんだという気がしてこれにした。
ところで、どんぐりのたわごとを今風に短くすると、’どんたわ’?
つやつやと光っていて、いつもわらっているようなどんぐり。しかもまた何と小さくて威厳のないことか。でも私達は、どんぐりでなければもつことのできない、しずかな、しかもいきいきとした明るさを、よろこびを、みんなのところにもって行けるのではないでしょうか。(須賀敦子 須賀敦子全集 第7巻)
自分サイズで書けばいいんだという気がしてこれにした。
ところで、どんぐりのたわごとを今風に短くすると、’どんたわ’?
2007年4月23日月曜日
帰る
週末、新潟の実家に帰った。私には帰る所がある。イギリスで始めて下宿したのはシリア人の家。大家さん一家は国の事情でもう二度とシリアには帰れない。親戚はアメリカに亡命。イギリスにはこういう人たちはとても多いように思う。
実家ではご飯を食べたり、掃除をしたり、昔に読んだ本を読み返したり、おばあちゃんとお菓子を食べながらテレビを見たり、散歩したり、論文書いたり(ほとんどしない、、、)。村の人に会うと’いつ帰るの?もう少し泊まっていけばいいのに’なんて、嬉しい事を言ってくれる。
帰るときは、おばあちゃんも玄関まで出て手を振ってくれる。今回はお父さんが駅まで送ってくれた。車の中でこれからの事を話した。そんなこと家で話せばいいんだけれど、昔からうまく話せない。雨が降っていて、駅で降りたら傘を出してお父さんも車から降りた。私は’いいよ、寒いから、じゃあ、体に気を付けて元気で。いってきます’。汽車の窓から緑のチェックの傘をさし、赤と青のウールのラガーシャツの上にグレーのウインドブレーカーをはおって、明るいブルーのジャージのズボン、カウボーイがかぶるような深緑の帽子をちゃんとかぶって、長靴をはいたお父さんが照れくさそうに手を振っていた。
家を去るときはいつも寂しくなる。私は物理的には何度でも家に戻ることが出来るけれど、いろいろな事はもう戻れないくらい遠くに来てしまったと思う。でも、こうして帰る所があるから遠くまで歩いてゆけるような気もする。
シリア人の大家さんは、スコットランドに移っていった。
実家ではご飯を食べたり、掃除をしたり、昔に読んだ本を読み返したり、おばあちゃんとお菓子を食べながらテレビを見たり、散歩したり、論文書いたり(ほとんどしない、、、)。村の人に会うと’いつ帰るの?もう少し泊まっていけばいいのに’なんて、嬉しい事を言ってくれる。
帰るときは、おばあちゃんも玄関まで出て手を振ってくれる。今回はお父さんが駅まで送ってくれた。車の中でこれからの事を話した。そんなこと家で話せばいいんだけれど、昔からうまく話せない。雨が降っていて、駅で降りたら傘を出してお父さんも車から降りた。私は’いいよ、寒いから、じゃあ、体に気を付けて元気で。いってきます’。汽車の窓から緑のチェックの傘をさし、赤と青のウールのラガーシャツの上にグレーのウインドブレーカーをはおって、明るいブルーのジャージのズボン、カウボーイがかぶるような深緑の帽子をちゃんとかぶって、長靴をはいたお父さんが照れくさそうに手を振っていた。
家を去るときはいつも寂しくなる。私は物理的には何度でも家に戻ることが出来るけれど、いろいろな事はもう戻れないくらい遠くに来てしまったと思う。でも、こうして帰る所があるから遠くまで歩いてゆけるような気もする。
シリア人の大家さんは、スコットランドに移っていった。
2007年4月20日金曜日
2007年4月18日水曜日
牛とポニー
友達の絵が上野の美術館に展示されているので見に行った。とてもよかった。
私は彼女がどんな絵を描いてきたか大学生の時から知っている。そして、思い出した。大学生の時のあるクリスマスの日。広いアトリエで、私はポニー、彼女は牛を書いていた。教室は広くて、寒くて(冷え性)、私たち2人だけで、お互いの場所は隣同士だった。一人だったら寂しい思い出だったかもしれないけれど、彼女が隣で牛を真剣に描いていた事でそんなふうにはならなかった。 ありがとう。
あのころは、クリスマスのきらきらよりも、自分の書いている’ポニー’のことで人生いっぱいいっぱいだった。ロマンチックな思い出は何にも残っていないし、私は今、絵を描いてはいない。けれども、あれで良かったし、ああいうふうにしか出来なかった。
上野の美術館の彼女の絵は牛ではなかった。都会のビルの間からの大きな深い空だった。
私は彼女がどんな絵を描いてきたか大学生の時から知っている。そして、思い出した。大学生の時のあるクリスマスの日。広いアトリエで、私はポニー、彼女は牛を書いていた。教室は広くて、寒くて(冷え性)、私たち2人だけで、お互いの場所は隣同士だった。一人だったら寂しい思い出だったかもしれないけれど、彼女が隣で牛を真剣に描いていた事でそんなふうにはならなかった。 ありがとう。
あのころは、クリスマスのきらきらよりも、自分の書いている’ポニー’のことで人生いっぱいいっぱいだった。ロマンチックな思い出は何にも残っていないし、私は今、絵を描いてはいない。けれども、あれで良かったし、ああいうふうにしか出来なかった。
上野の美術館の彼女の絵は牛ではなかった。都会のビルの間からの大きな深い空だった。
2007年4月17日火曜日
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